ペットロス、悲しみの5段階 Vol-23

今日は何となく「うちの犬ががんになった」という本を読み返してみた。愛犬バーニーズマウンテンドッグちょこの悪性腫瘍と向き合うとき、私を支えてくれた本の中の一冊。ちょこが天使になる前はどうしても読むことができなかった後半の「別れのとき」という章。

基本的にどんなジャンルの本でも読むのが好きで、時間をかけてでも最後まで読まないと気持ちが悪い。でも、この章は愛犬が生きている間はどうしても読むことができなかった。ともあれ、その中にペットロスにおける悲しみの段階の説明書きがあった。感情の移り変かわりを心理学的に「悲しみの5段階(諸段階)」と言うらしく・・。

深い悲しみを乗り越えるには、否定から始まり、怒り、交渉、抑うつ、受容の5段階の移り変わりがあるとのこと。この5段階の中で、人の死とペットロスの違いは、交渉(取引)の代わりとして「罪悪感」を感じやすいとのこと。頷きながら読んでしまった・・。交渉においては、恐らく「何でもするから死を免れたい」というような感情で、神仏にすがるような感じ?

対してペットロスの場合は、「もしこうしてあげてたら・・」「もっと早く病気に気づけたら・・」などの後悔や罪悪感が大きくなる傾向にあるそう。私の場合、愛犬を早く虹の橋に旅立たせてしまった気がして罪悪感でいっぱいになることが多々・・。

ホスピスケアを含む治療全般の選択に関しては後悔していないものの、ちょこが辛い様子を見せるたびに「もういいからね、ママは大丈夫だからね」と話しかけてしまっていたこと。本当はちょこはもっと生きたかった、もっと一緒にいたかったのかもしれない。そんなことを考えると罪悪感でいっぱいになる。

愛犬がご飯を拒否するようになると同時に呼吸が苦しそうな姿を見せたとき、この子が辛い思いをするくらいなら早く旅立たせてあげたい。内心そう思ってしまった・・。私が頑張ることをやめさせてしまった気がしてならない。介護が始まってから、ちょこには何でも話すようにしていたのだが、話さない方が良かったこともあったのかも・・。

声に出して話すと、しっかり目を見て話を聞くちょこ。体が辛い時期は短かったかとは思うが(肺に組織球性肉腫があったため時々呼吸が苦しそうだった)、辛そうにしたとき、「ちょこが好きなタイミングで逝って良いからね。変わってあげれたら良いけど・・ちょこが苦しそうにしているのを見てるのが何より辛いから・・十分頑張ったから、もう頑張らなくて良いよ」。

なんて言ってしまったときも・・。今考えるとママ想いのちょこを早く天使にさせたのは私なのではないかと思う。強制給餌をやめたこともそう。亡くなる日まで、絶えず色々な種類のフードやおやつを試してみたものの、無理に口に入れることはしなかった。

回復の見込みがないのに辛い体のまま延命することに疑問があったし、強制給餌は人間の自己満足な気もしてしまった。もちろん長期的な延命の可能性、または完治の可能性があるのなら話は別だが・・。もうすでに全身に悪性腫瘍がたくさんあって制御できないと感じた・・。どうしても無理(辛い思い)をさせたくなかった・・。

もし今また同じ状況下に置かれたら、同じことをするであろうし、これは後悔とは少し違う。罪悪感という言葉がまさにピッタリくる感じで、モヤモヤして仕方がないような、とてつもなく寂しくて虚しい。悔しいような気持ちが罪悪感に混ざり合う。そんなこんなの辛い日々だが、今日は本を読む事で自分を第三者として見ることができた。

もちろん長期的に気持ちが楽になるわけではないが、自分を当事者としてでなく第三者として見てみることで、ほんの少し冷静になれる瞬間がある。穴にはまって永遠に抜け出せないような気がしてしまうけど、悲しみの5段階(諸段階)、受容までいくにはどれだけの時間が必要なのだろうか・・。なんて考えた1日でした。


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