愛犬の死後の世界 Vol-11

少し前に母の日(5/10)がありましたが、今年はコロナ騒動もあり母の月(5月)なんて言われてますね。数日前に、私も人生初の母の日プレゼントを天使になったちょこからもらいました。

花びらが全てハート形。お友達に聞いたら、私がもらったお花は芍薬(シャクヤク)に似てるとのこと。先月のこと、ちょこのお体とお別れする(火葬)とき、自宅の入口に咲いたアナベルの花でちょこのお体全てを覆いました。

アナベル

ちなみに、アナベルの花言葉はひたむきな愛。お花が最近全て枯れてしまい、寂しいな・・なんてシュンとしながら斜め下を向いたら、雑草に紛れてピンクのかわいい芍薬が一本ポツンと咲いていた・・。

ちょこにお供えした次の日には、見事に花が開きました。ちなみに、芍薬の花言葉はなんともちょこらしいハニカミ。嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。お花を見てすぐに、ちょこからの母の月のプレゼントなんだと思いました。

芍薬(シャクヤク)

そして、勢い良く花開いた様子を見ているとどうしても思い出してしまう・・。バーニーズマウンテンドッグあるあるのパッカーン!亡くなる数日前まで見せてくれた、この姿を。

犬の急所である腹部などをこんなに大っぴらに見せるということは、体が少し楽なのかな?と、この姿を見るたびに安心した。組織球肉腫でいっぱいの体・・。それでも、こんなにリラックスした姿を見ることができるのは本当に嬉しい。

さておき、今日の本題・・。今まで猫やフェレットを看取ったことがあるが、ちょこがいなくなって初めて愛犬の死後の世界なんてものを考えた。毎日のように、ちょこはママのそばにいてくれてるかな?なんて考える。気配は感じても、やっぱり目で見えないと確信が持てない・・。

愛犬のペットロスにどっぷり浸かり、これまで本当に多くの人たちが励ましの言葉をかけてくれた。そこで、人それぞれ愛犬の死後の世界について信じるものが違うことに気づいた。よく言われたのは、いつまでもママが寂しがってるとちょこがお空に行けないよ。

なんて言葉・・。私は、個人的に動物たちは死後ずっと自分のそばにいるなんて思っている(信じたい)から、前に進むための努力をしながらもいつまでも寂しくて良いものだと思っている。死後の世界なんてものは、こうだ!と確実に証明できる人はおらず、自分が死ぬまで分からない。

もしかすると、死んでも分からない世界なのかもしれない・・。そもそも、目に見えない世界は「生きていく人間(取り残された人間)の都合に合わせて作られたもの」なのでは?と思う。だからこそ、(自分が幸せでいるために)自分が信じたいように信じることが大切なのかな?なんて最近思うことにした。

「虹の橋」のお話も素敵で個人的に大好きだけど、やっぱり死ぬまで愛犬と一緒になれないというのは、なんだか寂しい・・。そんな風に愛犬の死後の世界について考えている時期、ポーランドの犬友さんがこんな言葉をくれた。

Psy nigdy nie zostawiają nas, są obok,
w innym wymiarze i czuwają nad naszym życiem.

これは、いただいた言葉の一部。(自動翻訳が正しければ)ポーランド語で「犬は私たちと離れることはありません。彼らは隣の別の次元にいて、私たちの生活を見守っています」という意味。

翻訳も正しいかは分からないし解釈が正しいかは分からないけど、私は自分勝手にもこんな風に解釈する。

虹の橋のふもとはお空の上にも存在するが、実は同時に私たちのすぐ隣にもあって、これら2つは繋がっている空間。虹の橋のふもと(またはお空)という空間で、お犬たちはみんなでオヤツなんか食べたりして楽しく過ごしているけど、その世界は私たちのすぐ隣の空間と繋がっている。

大好きな体に触れることが出来ず寂しいことには変わりないが、いつでもすぐ隣にいるなんて考えると少し温かな気持ちになれる。こんな感じで、自分が幸せになれる愛犬の死後の世界を信じればよいんじゃないかな?なんて最近思い始めた・・。

最後に、恒例の今日のバーニーズマウンテンドッグちょこ動画は、姉家族と伊豆でクルージングをした時のもの。甥や姪より遥かに楽しそうだったちょこを見て、「ちょこが一番楽しんでない??!」なんて言いながら、姉と笑ったのを思い出す。終始二カニカ笑顔で、可愛かったなぁ。

嬉しくてキラキラとした瞳、ずっとママの記憶から消えないよ・・。



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